プロフィール |
行政書士:加藤 允 |
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この業務に携わるきっかけは、日産自動車のデーラーで登録業務を10年以上経験していたことに由来しております。 従って、近畿運輸局との付き合いは、連続45年以上ということになります。 手書きの登録から始まり、時代とともに変革して今やコンピューターされて参りましたが、以前の登録業務は、予想以上に大変厳しいもので、叱られたり指導受けたり徹底的に鍛えられたものです。当時運輸局に勤務されていたその方々は既に退職されており、その想い出も遠くなり懐かしさだけが残っております。 |
現在は、運輸関係では、自動車登録と各種運送事業の許可申請を業としておりますが、登録業務は、早ければ来年度から、インターネットで、誰でも、いつでも出来るようになると聞いております。自動車登録は業として成り立っていくのか、懸念している次第です。 生い立ちは、宮崎県出身で、大学は鹿児島大学。クラッシックの音楽が好きで、昔は、レコードも高価で、図書館などのレコードコンサートに出かけたり、昔の音の悪いラジオのNHKシンフォニホールの時間等貪るように聴いたもの。海外の有名な指揮者やオーケストラなどは田舎ではお目にかかれず、どうにかして都会に出たく、それが唯一の夢であった。 文学は、「夏目漱石」や「シェクスピア」にかなり填りこんだ。 夏目漱石の「草枕」の”山路を登りながら、こう考えた。・・・” の冒頭の文章は、「ハムレット」の”生か、死か・・・” と続く長い独白と比較するとかなり面白い。 「草枕」では、この世の住みにくさを、”智に働けば、情に樟させば、意地を通せば・・・” と短い言葉で表現、「ハムレット」は、”世のとげとげ しい非難の鞭、圧制者の不正、役人の横柄、立派な人間がつまらぬ人間から受ける侮辱、法の裁きののろさ、かなわぬ恋の悩み” と表現し、死ねばこの悩みから逃れられる、しかし、死後未知の国へ旅立ち、知らぬ他国で未知の不幸と取り組むよりは現在慣れたこの世の煩いを、我慢した方がまだましだ、という。 「草枕」では、人が作ったこの世を住にくいからとて、越す国はあるま い、あれば、人でなしの国へ行くしかない。人でなしの国は人の世よりも 猶住みにくかろう、という。表現こそ違え、「ハムレット」とかなり類例。 類例とは怒られるかも知れないが、英文学者の漱石が、シェクスピアを 研究したのは疑いなかろう。物語の流れの中から哲学が生れ詩が語られる のがシェクスピアの戯曲の作品だか、「草枕」では、人が作ったこの世を住みにくいからとて、越す国はあるまい、あれば、人でなしの国へ行くしかない。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう、という。表現こそ違え、「ハムレット」とかなり類以。 類以とは怒られるかも知れないが、英文学者の漱石が、シェイクスピアを研究したのは疑いなかろう。物語の流れの中から哲学が生まれ詩が語られるのがシェイクスピアの戯曲の作品だが、「草枕」では、山を登りながら、哲学 を語りながら散策して、温泉宿に辿り着いて、その夜、夢に女が現われてその女がオフェリアになって、柳の枝から落ちて、川に流されながら歌をうたう。助けてやろうとすると目が覚める。ここにシェクスピアが出てきた。この女性は、この温泉宿の娘で、出もどりで、若くて美しく割りに自由に言動することのできる特別な魅力をもった女性である。 ひとり孤独で山に登り、ひなびた温泉宿で美女に出会う、という世界は男の夢想するロマンの原点だ。川端康成の描く「雪国」も正にそれである。 |
このロマンの原点が、二人の文豪にかかると凡人には描き得られない文学になる。 「草枕」では、山里の湯壷の中で、魂まで春の温泉に浮かしていると、突然風呂場の戸がさらりと開く。照らす灯影に何か判然としない。何とも知れぬものが1段づつ降りて来た時、余は女と二人、この風呂場の中に在ることを覚った・・・ここから数ページにわたり延々と女性の裸体について描れて行く。漢文調でかなり難解な表現が多いが、・‥注意をしたものか、せぬものかと、浮きながら考える間に、女の影は遺憾なく、余が前に、あらわれた。薄紅の温かみに見える奥に、黒髪を雲とながして、あらん限りの背丈を、すらりと伸ばしたる女の姿を見たときには、礼儀の、作法の、風紀のという感じは悉く、わが脳裏を去って、只ひたすらに、美しい画題(主人公は画家である)を見出し得たとのみ思った。・・・・余が面前に現われた姿には、一塵もこの俗挨の眼に遮るものを帯びておらぬ。常の人のまとえる衣装を脱ぎ捨てたる様といえば既に人界に堕在する。始めより着るべき服も、振るべき袖も、あるものと知らざる神代の姿を雲のなかに呼び起こしたるが如く自然である。・・・真白な姿が雲の底から次第に浮き上がってくる。くび筋を軽く内輪に、双方から責めて、苦もなく肩の方へなだれ落ちた線が、豊かに丸く折れて、流るる未は5本の指と分かれるのであろう。ふっくらと浮くこつの乳の下には、しばし引く波が、又滑らかに盛り返して下腹のはりを安らかに見せる。‥・世の中にこれ程錯雑した配合はない。これほど統一のある配合もない。これ程自然で、これ程柔らかでこれ程抵抗の少ない、これ程苦にならぬ輪郭は決して見出せぬ・・・・ |
彫刻の最高傑作であるかの「ミロのビーナス」を眺めるかの如き表現だ。 シェクスピアは、この人間、まさに自然の傑作、智にはすぐれ、五体、五感の働きは精妙をきわめ、つりあいの見事な美しさ、その行動は何と天使にも似て、その理解力は何と神に似てることか、あっぱれ神さながら、天地を支配する美の項点、ありとあらゆる万物の造化の傑作たる人間!・・・・とハムレットの中で表現している。 |